第32回 アフラック 創業者・最高顧問 大竹美喜



あらゆる面で発展を見せる中国。14億人という人口を考えれば、保険市場も当然大きな発展を遂げることが予想される。アフラック(アメリカンファミリー生命保険会社)はアメリカから日本へと進出し成功した保険会社であり、大竹美喜最高顧問はアフラックの日本での創業者だ。世界的視野を持つ大竹美喜最高顧問は中国の保険市場をどう見るのか。また、アフラックが中国へと進出する可能性はあるのか。そこには多くの日本人が求める答えがあった。 また、日中国交回復前から中国と交流を持つという大竹美喜最高顧問の、中国との長く深い交流の歴史と独特の中国観にも注目したい。


中国は今後世界で最も保険が発展する市場

――中国に行かれたことはありますか?


中国代表部が東京にあったころ、国交前から中国へ個人旅行していました。  また、「21世紀に向かう日中金融財政国際シンポジウム」が、ちょうど日中平和友好条約締結15周年にあたる1993年に中国の人民大会堂で開かれ、私も出席させていただきました。報告書には李鵬首相(当時)や細川護熙首相(当時)の祝辞も掲載されています。  これを契機とし、1997年まで計5回にわたり、私が音頭を取り視察団を結成し、地方銀行を中心とする金融機関の役員クラスを延べ120人中国へお連れして視察しました。特に印象に残っているのは、当時上海に開業したばかりのヤオハンや設立直後の上海証券取引所や上海外為センターへの視察です。また、西安交通大学の非常に優秀な学生とディスカッションもしました。  このように関係を深めたこともあり、日本の(当時の)大蔵省と中国の財政部との交流の一助にもなりました。  また、90年代初頭、ドン小平氏のいわゆる「南巡講話」を受け、中国は改革開放政策をより一層強力に進めるようになりました。こうした中、北京の中国人民大学で日本における当社の成功体験を講演させていただき、その際は、中国のダイナミックな動きや熱気に圧倒されて帰国しました。


 

1人当たりGDP1万ドルが保険市場発展の目安

――中国の保険市場をどう見ていますか?


 北京・上海・広州・深セン・大連といったところは経済発展がすさまじいですから、その発展に牽引され、保険市場も拡大されてきたと思います。ですから、保険の中国全土への拡大は、全体的な経済レベルの向上と歩調を合わせて進んでいくものと考えます。今後、中国の1人当たりGDPが1万ドルを超えたころ、保険市場は急速に発展するでしょう。これは台湾・韓国その他アセアンの国々を見てきた中で感じたことです。拡大の余地は十分にありえますし、中国は今後世界で最も保険が発展する市場だと思っています。現在、中国の生命保険事業は外資単独での営業が許可されておらず、合弁しか認められていませんから、このあたりが今後どうなっていくかです。日本も昔はそうでした。ですから、中国も気長にやっていくことだろうと思います。  がん保険に関しては、中国に日本やアメリカと同じようなきちっとしたがんの診断確定が確立され、がんになられたあと、誰もがしっかりとした治療を受けられる状態にならないと、保険金を払って差し上げても治療ができません。それでは保険を買う意味がありませんから、状況が整うまで見守る必要があると思っています。 ―世界的に見ると、保険が浸透していない国もあると思いますが、国によって求められる保険は違うと感じますか?また、保険の意義とは何だと思いますか?  保険というのは国民性・歴史・伝統・諸習慣・文化・社会保障制度・医療水準など、その国のファンダメンタルズを構成するさまざまなファクターを踏まえて設計する必要がある事業です。ですから、その国にマッチした商品が生まれてきます。その国に合わないものをいくら薦めてもお客様は応じてくれませんから。保険に求められる機能や意義もそれに応じて変わってくると考えます。  日本でいえば、死亡保障の保障額が世界一であると言われています。子孫にお金を残したいという文化の表れでしょう。一方、アメリカは自分が生きている間のことが中心になります。これは各国で考え方が違うので、日本と中国では必要とされる保険にも違いがあるかもしれません。


 

「郷に入れば郷に従え」が成功の秘訣

――最高顧問はどうして保険業に携わろうと思ったのでしょうか?また、がん保険にこだわった理由は?


私は、日本でこの会社を設立するまで日本で保険代理店を営んでいました。その前はアメリカの保険会社で働いていました。ですから、日本の保険業界に新しい発想の、新しい保険を導入することで日本国民に寄与できるのではないか、という考え方がありました。それまでの保険に飽き足らない日本国民が大勢いたからです。ですが、当時日本の保険業は成熟しており、これ以上保険は伸びないといわれていました。私が新しい保険を提供したことで新しいマーケットを作ったといえます。この点で、保険業界にも寄与できたのではないかと思っています。  また、なぜがん保険にこだわったかといいますと、がん保険を発案(開発)したのはアフラックのアメリカ本社でした。創業者の一人であるジョン・B・エイモスは、日本ではがん保険の販売は難しいことは十分に理解していましたが、あえてそこに挑戦したのです。私はその姿と人物にほれ込み、事業を手伝うことにしました。


――アフラックは日本市場に進出し、成功しました。どうして成功したと考えていますか?


 日本の諸習慣に従ったことでしょう。日本のことわざに「郷に入れば郷に従え」というものがあります。たとえば、中国に行けば中国のビジネススタイルに従わなければ成功しません。ですが、アメリカの企業の場合、アメリカの流儀を現地の会社に押し付けてしまうということが多く見受けられます。日本に進出し、100年以上経っても成功していない会社がある理由はこういったところにあるのです。ですから我々は、日本の諸習慣に従い、国・行政の指導、そして何よりもお客様の声を素直に受け入れることにしました。このことが成功につながったと思っています。  また、がん保険という商品は、日本で最初に発売したことから、独自マーケットを開拓することができました。さらに販売方法も、日本では外務員制度をとっていましたが、我々は損保会社のように代理店制度をとりました。こうしたことからローコストマネジメントが可能となり、一つの成功要因だったと思います。


リーダーが次のリーダーを育てる「リミットレスリーダーシップ」

――漢方などの中国医学をどう評価しますか?


グローバル化によって経済や文化の分野において発展し、新たな分野への投資機会が増えてきました。日本だけでなく全世界で、人種・言語を超えた多様な価値観が求められています。教育や科学・ビジネスにおいてもフラット化しています。ですから当然、漢方も日本において研究が盛んになり、一種のブームとなっています。東京大学や慶應大学といった有名大学でも非常に研究が盛んです。今まではほとんどが西洋医学でしたが、東洋医学・代替医療・漢方といったものが入ってきて、これからは西洋医学か東洋医学かという二元論ではなく、双方が良い意味で補完し合い、患者の苦しみを取り除く貢献ができればと思います。  欧米のエグゼクティブが東洋医療を積極的に取り入れているにもかかわらず、まして中国との歴史的に深い関係にあったにもかかわらず、日本は医療制度として漢方の取り入れが立ち遅れていました。私自身は中国の医者にかかっており、漢方も服用しています。


――人材育成にも力を入れているそうですが、次世代にはどういったリーダーが必要だと考えますか?


日本という国は成長し、成熟し安定期を迎えています。新しい解が見つからず、どうしていいかわからない状態なのです。ですからこの状況で新しい解を見つけ出すには、発想の転換が必要となります。あらゆることをゼロベースで考えるべきなのです。この時、中心となるのはやはり人です。優秀な人材がリーダーとなり引っ張っていかなくてはなりません。そこには思想や哲学が必要となります。ですから、リーダーが次のリーダーを育成し、それを際限なく続けていくのです。これをリミットレスリーダーシップと言います。このように組織を上手に導いていく人格者が必要で、どんなに頭が良くても人格者でなければリーダーにはなれません。視野が広く、貴重な価値観を持ち、寛容な態度を備えた方を育てるために、私も中学生・高校生・大学生の教育のお手伝いをしています。この夏休みも四つの次世代の育成に参画しました。一つはノーベル賞を目指す中学生向け、他は高校生向けです。


大竹 美喜 おおたけ・よしき

アフラック(アメリカンファミリー生命保険会社)創業者・最高顧問


1939年5月 広島県生まれ

1960年3月 広島農業短期大学(現 県立広島大学)卒業

2008年9月 韓国 大邱韓医大学名誉保健学博士



職歴


◆アフラックにおける職歴


1974 年 11月 アフラック日本社創業 副社長

1986 年 1 月 アフラック日本における代表者・社長

Aflac Incorporated(Aflac 持ち株会社)取締役

1995 年 1 月 アフラック日本における代表者・会長

2003 年 1 月 アフラック創業者・最高顧問


◆主な著書


『これでいいのかニッポン』NHK出版(1994年)

『ポケットの中の人間学』NHK出版(1997年)

『医療ビッグバンのすすめ』NHK出版(1998年)

『リーダー改造論』きんざい(1999年)

『医療ビッグバンのすすめ 』NHK出版(2000年)

『人生大学』扶桑社(2003年)

『仕事で本当に大切にしたいこと』かんき出版(2004年)

 


インタビュアー:『月刊中国NEWS』 編集長 張一帆


『月刊中国NEWS』 10年12月号掲載