国際経済促進協会会長 六川渉右



日中交流と「奉仕の精神」

今も日中交流のために心血を注ぐ六川氏は、1997年3月、中国南京老人児童福利院に50万元(今のレートで計算すると約750万円)を寄付。個人としては高額であり、当時、中国で注目を集め、新聞やテレビで取り上げられ中国全省に放送もされた。また、南京市に1000本の梅の木を贈呈し、「日中友好梅園」を開園するなどの慈善事業の他、日中経済に関する講演を数多く行ない、環境問題などにも取り組んでいる。そんな六川氏の根源には、「奉仕の精神」があった。



――初めて中国に興味を持ったのはいつ頃ですか?


大学2年生の時、田中元総理が日中国交正常化をしたときに非常に興味を引きまして、それから6~7年後、大学を卒業して、ミプロに所属していた時、中国に行きまして今に至っています。


――中国の第一印象は?

始めは上海に行きまして、その他、広州にも行きましたがエネルギーを感じました。昔から中国の華僑の人はビジネスがうまいと言われてきましたが、中国は必ず経済発展し、今は龍と言われているけど、巨龍になるだろうと感じました。


――その後はどうでしたか?


ともかく、将来の日中経済交流の役に立つだろう、日本のことを中国に伝えていくことが大切だろうという理由で、講演が増えていったのです。一番最初は日本の経済について講演しました。みな大変興味を持ってくれて、何回か講演を重ねると、もう会場が一杯になるようになりました。



南京との長い交流のキッカケは講演


――会長は南京との交流が長いですがどうしてですか?


日本人がよく南京というと過去の出来事があって、企業も進出したがらない。だから南京に力を入れているのかと聞かれることがありますが、そうではありません。たまたまそうなったのです。きっかけはやはり講演です。上海でも、広州でも、天津・北京・内蒙古でも講演しました。その中でも南京がなぜか、行けば行くほど歓迎してくれて、良いのです。


――南京はどうですか?



上海にはどっちかというと近代的な雰囲気を感じましたし、南京とくらべても天津の方が大都市です。今は南京も人口が多くなっており、人口的には近づいていますが、南京はどちらかというとゆっくりしています。


以前、タクシーに乗った時のことです。運転手さんが、「私、先生を見たことあります」といいました。「テレビや新聞によく出るでしょう」というので「そうですか?」といいますと、「先生を乗せたことを光栄に思います」と言うのです。そして「代金は要らない」と言われました。私が「あなたに子供はいますか?」と聞きくと、小学校4年生の男の子がいるというのです。私は「あなたにではなくて、その子にお菓子を買っていってあげなさいと」いいました。少ないお金ではありましたが、子供へのお菓子代として渡したのです。とても感動してくれて、私も嬉しかったです。つまり、1人1人の感情なのです。その結果で、南京政府のみなさんも、一般のみなさんもよくやってくれていると思います。


――南京大虐殺に記念館は行ったことはありますか?


あります。やっぱりいい感じはしません。見て、申し訳ないという思いになります。人間として、本当に涙が出る思いです。私の団体である国際経済促進会のメンバーを連れて行ったときには必ず献花します。市政府のみなさんが「気をまわさなくっていいんですよ」と言いますが、そうではありません。「私はお参りがしたいんだ」と言うのです。



南京、福祉施設に50万元の寄付


――――1997年に南京の福祉施設に50万元を寄付されました。当時としてはとても大きな金額ですね。


組織のお金ではないので、やはり大金ではありました。でも父に、小さい頃から「人に愛情を持て」といわれて、また「どんなに苦しいことがあっても胸を張って生きろ」と教えられていましたから、そういう部分が出てきたのだと思います。本当に父はいいことを言ってくれたと思っています。


当時、市政府の方々と食事などをする中で、中国は1人っ子政策で捨て子が多く、また捨て老人も多いと聞いて、福祉施設に連れて行って欲しいと言いました。そしてその福利院に行ったのです。


福利院についてから、中に入って見ると、ある部屋に、赤ちゃんが大勢いて、一つの箱に3人ぐらいの赤ちゃんが横になっていたのです。施設には、日本で言うと中学生ぐらいの子もたくさんいました。その赤ちゃんの中の1人が、私を目で追っかけて来るんです。それで、私は動けなくなってしまって、「はっ」と父のことを思いまして、これは何かしなければいけないと思いました。それが50万元に変わっていったのです。できれば、この施設の子供たちが大人になるまで面倒を見てあげたいと思いました。そういう心境でしたから、お役になっていただきたいという気持ちでした。


――その施設にはよく行きますか?


私は南京に行くたびに、必ず福利院に行くことにしています。みんな大きくなっていますが、また別の子供もいますから、それを言えば果てしないですね。


中国へ行きただ帰ってくる。それが悪いとは言いませんが、まず継続すること、約束を守ること、これを積みかさねることが、日中両国に懸け橋になっていくのだろうと思って、今中国とのかかわりを持っているわけです。ビジネスをするにしても、それは人間関係でしょう。但し、利害関係の中で終っていく場合も多いでしょう。でも根底に眠っているのは、家族のような感覚です。日本と中国を大きな家族として考えて大切にするべきなのだと思います。


――テレビで、寄付のことについて放送されましたがその時の感想は?


多くのメディアから取材を受けました。中国中央テレビ(CCTV)も泊まり込みで取材に来ていまして、こんなに歓迎されてるのだと初めて知りました。それと同時に、日本の福祉施設で寄付があって、果たして、全国放送するだろうかと考えて、こういうことを敏感に捉えてくれていると感じ感動しました。


――また、南京市に1000本の梅の木を贈呈し、「日中友好梅園」を開園ていますね。そのきっかけは?


これは、自分の協会のメンバーの中に講演を頼まれて会を開いた時に、色々な雑談の中で、「北京で昔、日中友好桜公園を造ったということがあるので先生これはどうだろう」。という話があって、「それはいいじゃないか」という話になりました。これなら行ってただ帰ってくるのではなくて、ものを残していくことになる。国際経済促進協会に入って、一緒に行き「梅を植えた」という思いを残すことが出来るのです。いまだに、「梅は大きくなりましたか?」とか、「今梅の季節ですが、花は咲いていますか?」という質問を受けます。大事なものを残したからつながっていると思っています。ビジネスも大事ですが、文化交流も大事なのです。この継続が日中経済のためになるのではないでしょうか。



お茶文化の交流



――中国とのビジネスはどうですか?


一つ今始めています。それはお茶です。日中のお茶の関係はとても古いです。日本人もお茶は好きですし、中国人もお茶好きです。ですから、これはやった方がいいだろうということで始めました。



――中国のお茶はどうですか?

中国のお茶は漢方的なお茶なのです。日本のお茶はどっちかというと作法としてのお茶です。1200年前までさかのぼると、最澄という僧がいました。その最澄が持ってきたのがお茶です。そして現代に至って、礼儀作法的なお茶が今も続いているわけです。そういう一つの流れで、今、中国の漢方としてのお茶と、日本の作法としてのお茶を結びつけることが出来るわけです。


お茶でも今注目しているのが、杜仲茶です。これは中国の漢方的なお茶なのです。で日本が2008年4月から、40~72歳までの間はメタボリックシンドロームの検査をしなくてはいけないといように義務化されました。そういうこともあり、杜仲茶はメタボリックにも効果があり、人助けににもなりますし、着手し始めたのです。




――最近、餃子問題や中国の食品問題などありますが、六川会長はどう思いますか?


私が見てきた世界で、日本も昔から食品の問題があります。今もそれは存在しています。まったくゼロというわけではありません。でもそういった中で、こういうことがあってはならないと学習するのです。餃子だけでなく、衛生全般に関して、国際的にメスを入れています。中国の食品に関してもすべてというわけではありませんが高い評価が出てきています。


今回、杜仲茶に関しても食品ですから、一番気にかかるのが農薬です。日本の最も水準の高い農薬検査をやりました。普通なら一種類しかやりません。ですが、今回は575種類の農薬検査で結果を出しました。全部合格でした。何の問題もありません。こういう商品も実際に存在するのです。安心して私が一番飲んでいます。


インタビュアー:『月刊中国NEWS』 編集長 張一帆


『月刊中国NEWS』 08年7月号掲載


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