テレビ朝日会長 広瀬道貞



報道記者として


――テレビ朝日と中国の関係は深いですが、広瀬会長は中国に行った事がありますか?


あります。最初は、日中の国交回復後4、5年経った1970年代の後半でした。日本人としては、比較的早い時期に中国に行ったことになります。当時は(朝日新聞の)政治部の記者で、中国にはまだ人民公社がありました。北京の農耕機や、農業用のトラックなどを作っている公社で、もちろん工場もありましたが、社員のための大きなアパート群・学校・病院、それから発電所もありました。ああこれが人民公社かと思って、感心して見ていました。


――テレビ朝日と中国の関係は深いですが、広瀬会長は中国に行った事がありますか?


私が行ったのは、北京・大連・成都・広州・杭州・上海、去年は私的な旅行で、雲南省の昆明、麗江、シャングリラまでいきました。いいところですね。中国というのは、まだ色々ないいところがあるし、楽しみにして、徐々に行ってみたいですね。雲南省に行くと、田舎の方は、トイレが大変とかあるけれども、古い歴史のある街が多くて、懐の深い国だなという気がしますね。


マスコミ畑へ


――広瀬会長はもともと朝日新聞の出身で、朝日新聞からテレビ朝日と長くマスコミの畑を歩いていらっしゃいましたが、この業界に入ったきっかけは何でしょうか?


早い時期から、自分が裕福になるだけじゃ何のために学問するのかも分からないし、できれば社会の役に立ちたい。しかし、政治家も、官僚もいやで、そうすれば一番パブリックなものはメディアでしょう。新聞社に入りたいというのは早い時期から考えてましたね。

――特ダネはありましたか。

が政治部記者で、田中角栄氏が内閣総理大臣、橋本登美三郎氏が幹事長だった当時のことです。


選挙の前、橋本幹事長が数人の記者と懇談している時に、「政府には金はない、しかし、選挙には勝ちたい。何かいい選挙スローガンがないか」と言われまして、私は折から、アメリカとかヨーロッパは日曜と祭日が重なったら、月曜日を休みにするというのが始まっていて、いいなあと思っていたんです。これならお金はかからないし、やったら受けますよと言いました。


選挙が終わった直後に国会で、日曜と祭日が重なったら、次の月曜は休みにしますという法案ができて、特ダネ以上にみんなの役に立ったのではないかと思いますね。



朝まで生テレビ


――「朝まで生テレビ」は中国とも関係が深いですが、会長自身はご覧になっていますか?


新聞記者の時代に出演したこともあるし、会長になってからも、一度出たことがありますね。田原さんがきびきびとした司会振りもあり、評判のいい長寿番組ですね。


――田原さんの司会は厳しいですね。


厳しくないと、深夜から早朝の一番眠い時期にみんな見てくれないと思うんですね。田原さん一流のやり方で、あの番組が長続きしていると思いますね。


――昨年、中国でも生放送で「朝まで生テレビ」を放送し、中国関係のテーマを取り上げましたね。非常に話題になりました。


日本の番組が生放送されるのは初めてだということで。確か、私たちも社内で賞(報道局長賞)を出しました。


それが元になったと思うんですが、今年、日中の国交復興35周年ということで、私たちが日本と中国のジャーナリストを一堂に集めて、率直な討議をしたらどうかと考えていました。案を出した1人は田原さんで、もうそういうことが出来る時代だと判断したんだと思います。経済界の人は、日中のジャーナリストが集まって、ケンカでも始めたら、かえってマイナスではないかと心配していたんです。ですが、田原さんはそういうケンカがあった方が将来のためになるんだということで、実現した経緯があります。


――他に会長の好きな番組はありますか?


報道ステーションは、長くやって来て、評価の高い番組です。エンターテイメントのドラマで言うならば、今「相棒」というシリーズものをやっています。非常に視聴率が良くて、私は絶対受ける番組だなと思って、プロデューサーなどを励ましてきた番組の一つです。私たちは、長い間ドラマ作りは中断していたのですが、またやり始めて、人気番組を世に送り出せるようになりました。ようやく成熟したテレビ会社になってきたという感じがしています。

中国のジャーナリスト・メディア


――中国のジャーナリスト・メディアに対して、どういった印象をお持ちですか?


日中ジャーナリスト会議にも参加いたしましたが、中国のジャーナリズムというのは、本当の意味での、自由な独立したジャーナリスト活動というのはできるのだろうか思っていました。今回の会議でのやりとりを聞いていると、ジャーナリズムの立場が、昔と比べ物にならないくらい強いですね。ジャーナリストの発言力が大きくなったと感じました。決して日本が自由で、中国が不自由なんだという既成概念は、通用しなくなってきている感じがしました。


――中国メディアとの違いは感じましたか?


両国のジャーナリストの間で最後までもめたのは、有事の際のジャーナリズムの役割についてでした。中国側からは、国が非常に危ないときには、ジャーナリストも一緒になって立ち向かうような場面も必要なのではないかとの意見が出されました。一方、日本側はそういうことは全く必要ない、そうなったら、ジャーナリズムの独立性はなくなっていくんだというあたりで、相当やり合いがありました。どちらの意見も一理も二理もある訳で、しかし、そういうことを率直に話し合えたのは良かったのかなという気がしています。