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第25回 経済産業副大臣 増子輝彦



経済産業省の増子輝彦副大臣は2009年12月17日、コペンハーゲンで気候変動問題を話し合うCOP15に鳩山由紀夫首相とともに参加。中国の温家宝首相とも会談した。その席で増子副大臣は発展途上国の中で中国は大きな影響力を持っていると感じたという。 中国の存在感は上海万博やASEANに対するFTA(自由貿易協定)を通してより強いものとなるだろう。そこで本誌編集長・張一帆が増子副大臣に中国との経済関係や、日本は今後、中国をはじめとした諸外国にどう経済面で存在感を示していくべきかを聞いた。そこからは、技術革新というキーワードが得ることができた。


中国企業と切磋琢磨し発展を図る

――09年12月17日、COP15に参加された増子副大臣は、鳩山首相とともに中国の温家宝首相と会談されたそうですが、中国の気候変動に対する取り組みをどう見ますか?

率直に申し上げると、中国は世界最大の二酸化炭素排出国の一つですから、この気候変動に対して一生懸命取り組んでいる姿は分かりますが、もう少しハイレベルな数値目標を積極的に出してほしいところです。同時に、中国政府としては今回のCOP15の姿勢を見ると、中国が途上国中で大きな影響力を持っていると強く感じました。例えば、中国と同じような発言をするような国が多かったこと、簡単に言うと消極的であり、条件を付け、なかなか方向性がまとまりませんでした。 温家宝首相との会談時も鳩山首相とともに臨みました。中国の考えを表現していたことはよくわかります。ですが、いろいろなものを乗り越えて、この地球温暖化対策に臨まなければ、決して地球人類のプラスになりません。それぞれのエゴはある程度捨てながら一つにまとめていく過程では、我々にも高いハードルがありますから、それを乗り越える努力をしていますし、中国もそれを乗り越える努力はしているとは思いますが、中国政府にはもう少し努力をしてほしいという気持ちはあります。


 

――温家宝首相の印象はどうでしたか?


温首相は非常にソフトなイメージですが、なかなかストレートに意見をおっしゃる方ですから、そういう意味では中国の指導者として立派な方だと思います。環境問題には、中国の立場で積極的に取り組んでいるのではないでしょうか。それぞれの国の考え方がありますから、それをどのように具体化していくかという段階で、指導者はタフでなくてはいけません。温首相はまさに鳩山首相やアメリカのオバマ大統領など各国のほとんどの首脳が集まる中、立派に振舞っていたと思います。 各国は中国という大国を無視できませんから、世界の中で中国が大きな力を持っているということは事実です。


 

CO2排出量25%削減は「協力し達成する目標」

――発展途上国からは、環境保護によって経済発展との間に矛盾が生じるとの意見がありますが、その点はどう考えますか?


我々からすれば、環境と経済の両立を果たすのが政治の力であり、国家の目標です。「矛盾する」ということだけを取りあげれば、間違いなく消極的な方向へ行ってしまうでしょうから、政治がそれをどうやって両立させるよう目標を立てるか、実現させるかが重要になってきます。



――2009年、鳩山首相は国連気候変動首脳会合でCO2排出量25%削減という目標を掲げましたが、そのことをどう思われますか?



CO2排出量25%削減の演説は世界的に大きな共感を得ましたし、賞賛もされました。これは我々民主党が野党時代、議員立法で提出した地球温暖化対策の法案がベースとなっています。鳩山首相にはよくあの場で演説をしてくださったと思っています。政権をとったからにはこれを達成するために、あらゆる政策を総動員して実現のためにがんばっていきます。とはいえ、CO2排出量25%削減の前提条件は、アメリカを始めとする先進国や、中国をはじめとする発展途上国の主要国が全部参加して、気候変動対策に乗り出すということです。 世界が一つの目標に向かって進んでいくための問題提起を鳩山首相がしました。もちろんその実現のために世界各国と話し合いをしながら、国内でも十分に話し合っていくこと、それが大事になります。


――CO2排出量25%削減という目標に対して、日本国内の企業からは反対の声もありますが、それはどう捉えていますか?


もちろん反対はあります。民主党が野党時代にこれを打ち出した際、経済界からも、霞ヶ関からも反発がありました。ですが、民主党が政権をとり、鳩山首相が国連で目標を明確にしてからは、まず霞ヶ関がこれを「目標としてがんばっていこう」というように変わりましたし、経済界の少なくとも半分以上は共にがんばっていこうという態度をとるようになっています。すべてが反対、というような状況ではなくなったのは間違いありません。



日中の協力をさらによいものに

――5月からは上海万博がひらかれます。上海万博を成功させるにはどうするべきだと思われますか?


日本館もいち早く竣工しました。その他、中国政府の努力に応えられるあらゆることをしていくつもりです。中国という国が経済成長をして世界で重要な位置を占めており、日本もいい意味でライバルであり、パートナーです。ですから、その中で日中関係をより深めていくために日本は、上海万博でサポートできることはしていきたいと考えています。

 


――上海万博開催中、中国へは行かれますか?


もちろん、行きたいと思っています。経済産業副大臣として、また上海万博協力議員連盟の幹事の1人

として上海万博には行ってみたいという希望があります。これは世界一の万博になるでしょう。中国は今、なんでも世界一が目標ですから。 中国はGDPで世界第2位になりますが、国民1人当たりでは、まだまだ十分ではないということもありますし、技術面の質の向上などもやっていかなければならないでしょう。とはいえ、マーケットとして見れば、他にこれほど大きなマーケットはないですから、世界各国が中国に注目しています。自動車売台数は09年、1200万台を記録し、今年は1500万台は確実だろうと言われています。ですから中国国民も、現在の開放路線の中である程度の満足感はあると思いますが、まだまだ満足しきってはいないでしょう。そういった意味では日中関係をますます密度の高いものにして、協力することは大いに協力していきたいと考えています。幸いにして鳩山内閣になってから、自民党政権時代のあまり良好でなかった頃よりは遥かにいい関係になっています。鳩山政権は日中関係を大事にしています。ですが、互いに言うべきことは言っていこうとは当然考えています。そこを踏まえて、我々経済関係の官庁は責任ある立場として日中関係を大事にしていくのです。今後とも日中交流をあらゆる面で進化させていきたいという希望があります。

 


――最近中国に行かれたのはいつですか?


気候変動問題の話し合いのために、現在の岡田外務大臣と何人かで、2年半ほど前に行きました。李国強副首相にもお会いしました。



日中はいい意味でライバルになる

――昨年米国は中国に対しセーフガードを発動し、中国政府は欧米でメイドインチャイナCMを展開しイメージアップを図っています。中国製品に対する風当たりに変化はあると思われますか?


この件に関しまして私は具体的に把握していません。ですが、中国の製品は現在、世界各国で流通しています。かつて日本の製品も世界に進出した時には風当たりは強かったですし、いろいろなことがありました。ですから、中国も今後日本が歩んだ道と同じような状況になっていくのではないかという推測はできます。



――中国の企業が日本に進出することが増え始めています。今後この状況は加速して日本進出企業は増えると思いますか?


それは増えるでしょう。中国の企業やファンドが日本に入ってくることが多くなることは十分にあると思います。



――これに対する危機感はありますか?


危機感がないと言ったら嘘になるでしょう。気が付いたら、日本の多くのものが中国資本であるというようになっていることは十分に考えられます。我々は中国の影響の大きさを強く感じています。



――日本はこれに対しどういう対応していきますか?


対応と言っても、正当なルールに則った対日投資については拒むことができませんから、日本としても中国の企業なりマネーが日本に入っていくことに関して、協力できることは協力していきます。とはいえ、日中がライバルになる時には、技術革新も含め競い合っていきます。公正なルールの中、大いに切磋琢磨してやっていきたいという考え方です。逆に日本企業が中国に進出した時には、同じように公正なルールの中で、規制を撤廃してもらい同じ環境の中でやっていきたいと思います。ですが、FTA(自由貿易協定)ですとか、EPA(経済連携協定)ということに関してはまだ日中間で具体的な形にはなっていませんので、こういったものをどうするかというのが今後の課題になってくるでしょう。









増子輝彦 ましこ・てるひこ


1947年 10月 福島県郡山市生まれ

1969年  7月 石原幹市郎参議院議員(初代自治大臣)秘書

1970年  3月 早稲田大学商学部卒業

1983年  5月 福島県議会議員

1990年  2月 第39回衆議院議員総選挙当選

1991年  1月 衆議院運輸委員会委員

  〃   11月 衆議院国際平和協力等に関する特別委員会委員

1993年  6月 自由民主党青年局長

1993年  7月 第40回衆議院議員総選挙当選

1993年  8月 衆議院政治改革に関する調査特別委員会委員

1994年  4月 自由民主党を離党し、「新党みらい」を結党

1994年 12月 新進党結党に参画(「新党みらい」合併合流)

〃         新進党総務

1995年  2月 衆議院商工委員会理事

1998年  4月 民主党結党に参画

2003年 11月 第43回衆議院議員総選挙当選

2004年  1月 民主党「次の内閣」ネクスト外務副大臣

2004年  2月 衆議院外務委員会野党筆頭理事

2004年  6月 国会議員年金廃止民主党議員連盟会長

2007年  4月 参議院議員補欠選挙福島選挙区にて参議院初当選

2007年  9月 民主党「次の内閣」ネクスト経済産業大臣

2008年  4月 参議院経済産業委員会野党筆頭理事

2009年  4月 民主党アフリカ友好議員連盟会長

2009年  9月 経済産業副大臣



 


インタビュアー :『月刊中国NEWS』 編集長 張一帆


『月刊中国NEWS』 10年04月号掲載

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