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第10回 日本写真家協会常務理事 齋藤康一


1965年、文化大革命が始まる前年に、3人の写真家が日本写真家協会を代表して中国に渡った。そのうちの1人が齋藤康一氏だ。それ以来、齋藤氏は約80回も中国へと渡り写真を撮り続けてきた。1965年当時と比べて「今中国は、自分がこうなるであろうと思ったことのはるか先に行ってしまった」と話す齋藤氏に、40年以上中国を見続けてきた写真家として、中国観や写真観などを聞いた。


昭和の肖像

――日本の著名人にスポットを当てた写真集『昭和の肖像』を出されていますが政治家は入っていませんね。

私の好きな各界を代表するような人々を1人だいたい1点ずつ載せています。政治家は入っていません。田中角栄さんに関しては何度か撮るチャンスはあったのですが、色々な出版社の仕事をしていたので、そのたびに他の仕事とかぶってしまって、結局撮れなかったのです。戦後の政治家で田中さんを撮ってないと何となくまとまりがつかない。福田赳夫さんも大平正芳さんも撮っている。それでも田中さんがいないので、政治家はすべてはずそうということになったのです。


――写真を撮られた歴代首相の中で一番素敵だと思った人は誰ですか?

この年代の歴代首相の中ですと、福田さんはおっとりとしながらとぼけた感じもあってよかったですし、大平さんも「うーん」とか「あー」とか言うけれども、ぶすっとしていている人でした。でも目を細めた笑顔はいいですね。ともかく誰でもしゃべってみると面白いと思います。


印象に残る街・北京

――写真家としての主張はありますか?


写真家とはいっても色々な雑誌の仕事ですから、私はこう思うとか、そういう主張をあまり出したくないのです。あくまでも第三者的に見ていく。だからああいうのが撮りたい、こういう場面を撮りたいというふうになって、数ページにわたりますので時間もかかります。写真を撮るときにはその人らしさというのが何らかの形ででてくる。それを撮りたいのです。俺は写真を撮るんだ、というのではなくて、その人にへばりついてちょこちょこ写真を撮ってその人らしさを盗んでいく、忍者のようなものだと思います。もちろん撮る写真家によっても違うでしょうが。私の場合は、その人を第三者的に読者に分からせたい、取った相手にも気に入ってもらいたい、僕も気に入りたいと思っているのです。なかなかうまくいきませんが。

――何度も中国に行ってらっしゃいますが一番印象に残っている場所はどこですか?

僕はやっぱり北京が好きですね。口が悪いのでいい言い方はできませんが、「でっかい田舎」という感じです。上海は都会という感じですね。北京・上海・蘇州どこもいいです。一方で、地方の少数民族などは写真になりやすいですが、誰が撮っても同じでしょう。ですから珍しい被写体は最初に撮った人の勝ちになってしまう。

都会にはありとあらゆるものがある。それを撮ることに価値があるのです。でもそれはあくまで、住んでいる人の目ではなくて、旅行者の目で見ていく。住んでいるわけではないので、中国がどういうところなのかは分からない。けれども色々な人がいるでしょう。結局はそれを旅行者の目でしか見られないのだから、旅行者の目で撮るのです。

いずれにしても都会が好きです。新疆ウイグル自治区のカシュガルやホータンなどもいいところで、写真も撮っていますが、好きでもう一度行って撮ってみたいというのは北京ですね。


――中国に行ってびっくりしたことは何ですか。

香港側から中国側に入った瞬間に警笛がピピピーって聞こえて、ああ違うなあと感じました。それと服装ですね。みな人民服でした。香港から広州のあとは武漢へ行き、そしてまた武漢から広州に戻ってきて、他にも上海や北京・西安・延安にも行きました。計40日以上いました。


――中国各地で写真を撮られていますが、一番美人が多い街はどこですか?

一番は上海です。あとあと考えてみると美人が多いと思うのは、上海・蘇州そして西安。北京は美人が少ないですね(笑)。芸能人は別ですが、街としてみると上海です。ぽってりとした感じではなくて、ひょろっとしたモデル体型の方が多い。バレエ学校を見に行ったときは本当に美人ばかりでした。


中国43年の変化を目の当たりにして

――中国には1965年に行かれたそうですが、43年経って中国の変化は大きいと感じますか?

大きいですね。貴州省の田舎や、昆明からちょっと行った田舎などは変わらないですが、地方都市の変化たるやものすごいです。そもそもなんで中国に行くようになったかというと、僕は1965年にたまたま行くことになったのです。その年に世界青年平和友好祭というのがアルジェリアであるということで、日本写真家協会の代表として参加することになり、中国経由で行くことになったんです。

ところがそれが中止になり、予定がなく暇になったところ、時を同じくして「日中青年大交流」というのがあり、せっかく時間が空いているなら行ったほうがいいということになって行ったのです。大変な偶然でした。アルジェリアに行くために取ったパスポートで香港に行き、橋にある線路の上を歩いて渡り中国大陸に入りました。その時、香港側にはユニオンジャック(英国旗)、大陸側には五星紅旗(中国旗)がどーんと立っていたわけです。8月の末の真っ青な空にはためくその二つの旗を見て、とても感激しました。これが国境かと。

インタビュー:『月刊中国NEWS』 編集長 張一帆

『月刊中国NEWS』 09年1月号掲載

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